HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

家族の歌(Busumbala)

自転車の後輪ブレーキの新しいパーツを求めて15kmくらいの距離を走ってマーケットのある地域へ。もうすぐそこまで来ている雨季(6月〜8月)を知らせるかのような曇り空が幸い。昨日みたいに干からびたりはしない。

車はクラクション鳴らしまくりでもううるさいうるさい。特に危なくなくても「通るぞ」と一言かける感じで鳴らしてくる。もはやクラクションは日常コミュニケーションツール。本当に嫌いだけど慣れるしかないんだろうね、諦めてる。

何軒も自転車屋を回った。もうほとんどの人からやる気を感じない。声をかけてもだらんと座ったまま小さすぎる声で返事する。アフリカの大人ってあからさまに魂抜けちゃってる雰囲気の人もけっこう見かけるんだよな。

5人くらいの人からガンビアにはそのパーツは無いと言われながらも歩き回った。「パーツを持っている」と言うので「見せてほしい」と頼んだが「先に金を払ってから」と引かない怪しすぎる自転車屋もいた。店構えは簡素すぎてどこにパーツが置いてあるのかすらわからない。もちろんお断りして立ち去ったのだけど、こんなショッピングコミュニケーションは旅立ってから初めてだ。自分の世界がまた広がる。

結局、パーツを持っている自転車好きっぽい若者の元に辿り着いた。中古パーツを渡され、それで最低限のブレーキがかかるようになった。ついでにSIMカードもちょっと悩んで購入。買い物は移動も含めると全部で5時間に及んだ。天気が曇りで本当に良かった。帰ってゆっくりした。

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直したブレーキ。パッドだけを交換したかったけどなかったので全てを取り替えた。
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帰り道。家に辿り着く前の1kmは砂道なので手押し。長く感じる。
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今日は魚の「ベネチン」をいただいた。

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夫婦
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『バディジャ(家族)』というマンディンカ語の歌を歌ってもらった。家族の一員であることをうたってくれているそうだ。歌の歌詞にぼくの名前を入れて歌ってくれた。歌詞を書いてもらったので載せておきます。

Ntell lai neg Hiro namita ntell lai ya tombog

「ヒロも家族の一部だよ」と言う感じの意味合いらしい。

歌ってる様子。

こだわりが融けていってる。やりたいと思っていたことはすべて手を出さなくても良いような。

見えている世界が物質から成るもので、自分が働きかけないと好転しないと思っていればやらなければならないことは山積みになり、失敗の可能性が付きまとう。それは自分にとってとても大きなストレスになる。

見えている世界が自分の映し出した幻でしかなく、自分の心や捉え方ひとつでいくらでも変わっていくと思っていればやることは自然発生することだけに乗っかっていれば良く、失敗というものはなくなる。余裕ができるので目の前の光景を楽しんでいられる。

こだわりが融けてやりたいと思っていたことに手を出さなくても良いと思えてくるのは、諦めているのではなくて、もしかすると神の采配によって別のワクワクする方向に気づかせようとしてくれているということかもしれない。まあそうでなくても、いま、このこだわりが融けていっている感触が大事っぽい。

投稿文とか、南アフリカまで進むことになった際に旅費を募るべく準備することとか、そのへんの頭脳労働をいくつかやっておきたかったのだけど進行は依然として重たい。なのでこの、固いこだわり感が融けていくことでスッキリするかもしれない。予定していた通り終わらせるか、それともさっぱり辞めてしまうか、全然予期せぬ代案が浮かぶか、出来るだけ頭を空にして発生する動きを待ってみる。

どうしていきたいか、はもう言葉になるはるか以前の、高くて淡いコアの部分では既に知っているも強く感じている。

三つ編みを作っている様子。

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