HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

発信する時の「誰かにとって有益でなければならない」という勝手ルール

自分が勝手に無意識に作ってるルールがあります。その一つ一つに気づいて言葉にしてみることは最近大切にしてる習慣です。

そしてそのうちの一つを言葉に。人前になにかを出すときに「有益でなければならない」というルールがありました。故に完成度をひたすら自分に課していたと思います。ただそれでいるとどうしても抑え込まれてしまう自分が出てきます。それってまだまだ無条件に自分を許せてない証拠なんだなとよくよく感じた最近のことでした。

「これは完成度が高いのか。これは有益なのか」答えのない問いをずっとかけ続けてるから、思い詰めて元気がなくなってしまう。

完成って本当にある枠でのものでしかなくて、そもそもそういう状態が存在しない。そういうことをこの場を通して覚えていけるんだ。目指すのは自分のを頼りに表せるようになること。

おいでいただきありがとうございます。

人の話を聴くのが難しいように、自分の話を聴くのも難しい。