やる前からわかりきってたことだけどやっぱり改めて感じている。写真というものはとても奥が深い。まだまだ学びたいことが山ほどあるし、今の自分ではとても撮れない写真が世の中山ほどあることも重々承知しているつもりだ。
それでも、今すべきことの中心は写真の勉強ではないと思っている。勉強を通じた専門的なスキル磨きよりも大切にしておきたいことがある。
それは自分にとって「自分である」とはどういうことであるかを追求することだ。
具体的には撮影、生活、パート、遊びの日常生活だ。これといって目立つような特別なことはない。
ただし、あたまとこころをフル回転させている。
その中で自分が何を感じ何を欲し何を恐れ何を好き何を嫌悪しているのかを感じ捉えていく。そうして感じていくことは事細かにメモを残す。
こんなことが何につながるのかなんてことは人から説明を求められても今はうまくは言いきれないけど、がんばって言葉にしてみます。
一見地味で面白みもないようなこの日々の過ごし方は「何か特別なことをしなければならない」という自己暗示で不自然な行動を起こしてしまう癖のある自分にとって地に足をつけるような、自分であることを実感するのにいい習慣だと思っている。
ぼくが出会ってきたひとを見る限り思うことだが、強い人間である条件の一つは「自分自身をありのままに捉えている」ことだ。こうして書いてみても言語ではちょっと表現しきれていない気もしてるのだが、なんかそんなかんじだ。
自分をありのまま捉えていることができているひとの発する言葉や表現はとても強い。それは一般化された美しさの概念とかそういうものをおもいきり飛び越えて、もう「その人である」という理由で心動かされてしまう。自分もそんなふうに強くなりたいと思えるのだ。
故に自分を追求する地味な営みは最近写真をはじめた自分が生き残るための合理的な戦略であり心惹かれてることだと思う。写真のスキル磨きはあくまでその中の一環でしかない。
写真の教本よりも小説がヒントをくれたりするし、名写真家の写真集よりもマンガが感性のターニングポイントにもなりうる
写真家に真正面から写真技術だけで勝負しても勝てない。工夫が必要だ。そこで鍵となるのが「己だけにできること」でありそれは「己自身が求めること」なのだと思っている。今この無名の時、呑気に元気に目一杯、自分と相対してみようと思う。
おいでくださりありがとうございます。
未来の自分はこんな言葉をどう読むのか想像するのもまた一興。