HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

良い「聴く」には「スペース」が要る

聴くこと見ること味わうこと。もろもろの受け取る力を総称してぼくは自分の中で勝手に「聴く力」と呼んでいる。

この「聴く」という言葉は人によって受け取り方にとても差がある言葉だ。相手の言う言葉を耳に入れていれることを差す人がいれば、その言葉の裏にある本心まで理解することを差す人もいる。今の僕にとってのは対象への理解が深ければ深いほど良い「聴く」になる。

そして僕はこの「聴く力」が本当にないとよく反省するし、それらがよくできているなあと感じる人には感心する。

そういえば小学校の通信簿では「人の話を聴くことができる」の項目にはいつも最低の「C」がついていた。先生から直接、「お前は人の話をちゃんと聴け」と指摘されたりもした。そんなわけでこのことはずっとずっと、ちょっとしたコンプレックスだ。

で、最近そのコンプレックスを解決するヒントが見つかった。

キーワードは「スペース」だ

ぼくは普段、何かを見るにしろ聴くにしろ、手放せていないことが多い。たとえば人の話を聞きながら頭の中では次の予定のことを考えている。たとえば美味しいご飯をたべながら将来のことを不安に思っている。頭の中になにかしらを抱え込んでいて、新しく情報の入り込むスペースがないのだ。スペースがないから当然、受信する情報が右から左に抜けたり、すぐに忘れたりする。

故に何かを得る時には頭の中にまっさらなスペースのある状態を目指そうと思っている。そう思えていることで普段からスペースをつくるために頭の中を整理しておこうと思えたり、スペースができていないらから今は受信しないという選択をすることもできる。

カメラマンは見ることが多いが、つまるところ、ひたすら冒頭で書いたような「聴く力」が求められる職業であると思う。すなわちスペースを用意しておけるかどうかが肝心だ。

そしてそれは結局、カメラマンをやっていようがなかろうが、生きる中でとても大切にしたいことなので、自分自身のテーマでもあるのだった。

おいで下さってありがとうございます。

スペースを作ることは執着を手放すことでもある。