HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

もしも自分が一生かけて木を育てるのなら

これから僕が、木が一本育てるとします。

あるのかよくわかりませんが、だいたい80年くらいかけて育つ木を生まれた頃から植えるとしましょう。

はじめは種から育ち、若葉が顔を出します。やがて若葉は背を伸ばして草と呼べるくらいの大きさに。次第に茎は太くなり幹となる。枝を次第に伸ばしてその頭を豊かな葉で覆い尽くします。やがて、果実をつけるかもしれません、冬にはすべての葉を落としてやや寂しい姿になるかもしれません。雷なんか落ちたりして大きく折れ曲がってしまうかもしれません。そうして様々な姿を見せる木の一生が過ぎていくことだと思います。

自分の木だけでなく、他人の木というのもあります。他人の木は自分の木よりもみすぼらしかったり、立派だったり、様々です。

すると、自分の木を「はやく成長させて、立派にしないといかん」と頑張りたくなる人もいるかと思います。自分もそういう人です。

だからこそ、いろいろな顔を見せる木の、その中のどんな姿にも、その姿なりの魅力があるということを心から思える人に憧れを感じます。

どんな個性も認められるようになる話、というよりは、自分自身に対する捉え方として語りたい話です。

どんな個性にもその魅力を見いだすなんてことは難しいことかもしれません。万人を愛するなんて境地ほど言うは易し行うは難しなものはないでしょう。

ただ、せめて自分の分の木ぐらいは、一番身近でそのいろいろな姿を見れる自分の木くらいは、穏やかな気持ちで見守っていたいと思うのです。そのうち、その気持ちが他人の個性にも向いていく日が来るのかもしれません。

その時にしか出会えなかった姿がある。その時にしか感じさせられなかったものがある。そんな感性のある人はきっと生き上手とも言われそうですね。

おいでなさっていただきありがとうございます。

だからまず僕にできることは、他人と比べる自分も穏やかに見守ることですね。

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