HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

「なりたい」と思った時点で負けている。

またしても仮説空想妄想なお話をぐだぐだーっとするのだけれど、要するに言いたいことは単純でなにか目標があるときに、「なりたい(したい、ほしい)」と思った時点でもう負けていると思う。ということだ。

「なりたい」という状態は、自分が今、そうでないことを認めていることになる。「なれていないけれどなりたい」という実現手前の状況が続くことになる。有名な言葉でもあるけれど、思考がそのまま現実になっているとするならばそういうことだ。

では本当に実現するためになにが必要なのか。

それは「なった」と思い込み、その前提で日々を過ごすことだと思っている。

例えばの話。

「心の強い人間になりたい」そのためにあれこれと自分に課する努力を計画している時点で、もう負けている。「いま、心の弱い自分である」と固定化してしまっているからだ。本当に心の強い人間になるのであれば、「もう心の強い人間になったのだ」と決めることで自ずと行動が変わっていく。

プロ野球選手になりたい」「なりたい」と思った時点でどこか「今の自分には高値の花だ」と自分で自分を固定化している。それよりもなったという前提を頭の中に作り出すこと。そのほうが日々の生活や立ち振る舞いがプロ野球選手にふさわしいものになっていく。

「幸せな人生を送りたい」そう思うと幸せなことが起こるよう努力をするかもしれない。でもそれは今、幸せではない。「幸せは自分からは遠いところにあって頑張って近づいていかなければならない」と自分と幸せの距離を固定化している。それよりも今、この瞬間から「幸せだ」と思って人生を過ごすこと、それが結果として幸せな人生になるのだ。(もちろん、一人一人、程度の差があるので一概に押し付ける理屈ではない。)

「もうそのようになったのだ」という前提でいることでなにができるのか。それは「受け取る」準備ができた状態になるのだ。すると、実現のために必要な行動を、いちいち「さあ、やろう!」と意気込んだりしなくても、自然と行っている状態になるというわけなのだ。

毎度のことではありますがややこしくなっちゃってちょっと反省しています。

でも、なんでまたこんなことを考え出したのかといえば、他ならぬ自分自身の高校野球部時代の経験を振り返ったからなのだ。部員が30人程度の野球部で3年間1度もレギュラーになれなかったあの頃のことだ。

当時、野球の実力がチーム最下位レベルだった自分は「レギュラーになりたい」と猛練習をしていた。しかし、その意識でいると「成功した状態(=レギュラーになること)を受け取れない」のである。

具体的にどんなことが心の中で起こったかというと、成功が怖くなった。ヒットを打った次の打席、さっき打てたけれど「そんなのいつもの自分じゃない」怖くなる。監督やチームメイトに誉められると「本当はそんなに誉められるような人ではない」と恐れ多くなる。成功を受け取れないのだから、気持ちは後ろ向きなままだ。後ろ向きな気持ちは必ずプレーに現れ、失敗をする。

そして、恐ろしいのはこの失敗の時、どこか、安心している自分がいるのだ。

潜在意識レベルではこう思っていたかもしれない。「自分はこの程度のレベルでくすぶり、努力を続けているのがふさわしいのだ。故に成功なんてものは自分にはふさわしくない受け取ってはいけないのだ。」

そんな意識を根本にもっていた自分は、努力→成功→受け取れない→失敗→努力の「成功できないサイクル」にどっぷりはまってしまったのだと思う。かくして高校3年間、一度も試合に出られない野球選手が出来上がった。もちろん、後悔をしているとかそういう話がしたいのではない。

ただ、今一度、ちゃんと確認しておかなければならないことがあると思うのだ。

あの時、目標は立てていた。努力もしていた。しかし、それ自体に落とし穴があったのではないだろうか。それは「なりたい」と思うことで、潜在的に「自分にはふさわしくない憧れの状態だ」と思い込んでしまう落とし穴だ。

そうではなく「もうなっている」と思えていたら、成功を受け取ることができて、どんどん成長していく自分を心から楽しめたのではないだろうかと考える。繰り返すが理解されにくいことは十分承知である。万人というよりは特定の人が持っている感覚であると認識している。(意外と多いのかもしれないが。。)

「目標」や「やりたい」という言葉の使い方には注意が必要だと思っている今日この頃だ。

お読みいただきありがとうございます。

自信とか自己肯定感とかってやつのなかみなんじゃねえのかなこれは。

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