HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

一人一人にとっての「写真」を伺ってみたいと思っています。

先日、カメラマンを長く経験している友人とお話をしていて、とても興味深い話題がありました。シンプルな問いです。

「一人一人にとって写真にすると嬉しい時はどんな時なのか。写真にすると嬉しくない時はどんな時なのか。」

ほとんど誰でもがカメラを持っている時代です。写真を撮ろうと思えば簡単にできてしまいます。きっと大昔に比べれば、残せて嬉しい瞬間が随分増えたのだと思います。

一方で、本当は残したいのに残せない瞬間がまだまだ無数にある。そしてそのまた一方で本当は写真を残して欲しくないのに残されている瞬間もまた、無数にあるのだと思います。

例えば残したいけれど残せない瞬間の話を想像すると、自分の日常生活での豊かな時間とか、大切な人と一緒にいる時とか、普段何気なく話しているあの人の仕事姿とか。残せないというよりは面倒でいちいち写真に残さない。でも残せると嬉しいかもしれませんね。

反対に残して欲しくない瞬間の話で想像すると、例えばスマホでどんどん写真が残せるので、イベントに参加していると写真をとりたくなる。でも、そのシャッター音のせいでイベントに集中できなくなったりしたらそれは写真を見る人にとっては様子がわかって嬉しいかもしれないけれど、イベント当事者にとってはうれしくない。写真としてどんなにいいものでも撮影じたいは嬉しいものではない。残して欲しくなかったとも言えそうです。

と、そんなかんじでいろんな角度から写真というものの捉え方を知ってみたいと思っているところです。

ぼくにとっての写真で言うと、カメラマンをやっている以上、いわゆる「いい写真」を撮ることに躍起になるところがあるわけです。見せるだけで誰もが感動するようなそんな奇跡の一枚みたいなものを目指す気持ちがあるわけです。

ただ、ね。その、「感動する」というのにもっと「誰にとって?」という視点を持ちたいと思っているのです。万人が感動するような写真でも、誰かにとっては嬉しくないものかもしれない。万人には通じない写真だけれど特定の誰かにとっては嬉しい写真かもしれない。もっと言えば「感動する」以外の嬉しさだってできるはずです。

その感覚は一人一人全く違って当然のはずで、その一つ一つを知っていくことで見えてくることはとても大切なことなのではないかと思っているところです。

なので、そういう話をいろんな人としてみたいと思っています。カメラマンの写真論みたいなのももちろん参考になるけれど、そういうものよりはむしろ、一人一人の写真に対する気持ちに興味があります。ちょっと写真が好きなくらいの人や、普段写真についていちいち考えない人から聞いてみたいと思っています。要するに万人が対象です。笑

一人一人の写真というものの捉え方を知っていくことで見えてくる世界が間違いなくあるとおもうので、ぜひ、そんな話をしてもいいよという方はお声掛けいただければ幸いです。できれば直接やりとりしてじっくり聞いてみたいなあと思っています。たくさんいてくれるようでしたらそんなことを話す会みたいなのをやってもいいなと思います。

ものすごい答えが欲しいわけじゃない。等身大の「あなたにとっての写真」を聞いてみたい。

お読みいただきありがとうございます。

写真を撮る人、撮られる人、見る人、角度は無数にござる。

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