お前は、その身体の内側から、望んで動いているか?
自分に課していることはこの問いに集約されてるかもなって思ったのでした。や、もう、生きてて出会う如何なる場面においてもやってるように思う。友達付き合いもそうだし、お勉強もそうだし、お仕事だって、お食事だって、恋愛だってなんでもそうだね。
つまり具体的にどうなっているのかというと。
友達の結婚式ぐらいおめでたいことがあっても「望んでなかったら」いかない。
返事を求められるメールの返信は「望んでなかったら」しない。
多くの人が笑っていても「望んでなかったら」しない。
どんな時でも例外なくそうありたい(実際は難しいのだけれどさ。)
つまり、「迷惑」な生き方ととられる可能性は非常に高いのだ。でも迷惑じゃない行動を「望んでいなかったら」やっぱりしない。
見る人が見たら「けしからん」、未来のじぶんからも「けしからん」と言われそうである。皮肉でも冗談でもなく、決して褒められた生き方じゃないだろう。
でも、それでもだ。じぶんは迷惑をかけないにしても、優しい言葉をかけるにしても、価値を生み出すにしても、できる人間になるにも、笑うにしても、呼吸するにしても、望んでする人になりたいのだ。
どんな高尚な人物が目の前に現れてそれに憧れ自己を否定しそうになっても、じぶんが心から望まない限りそいつと同じことはできるようにならんよ。心からって言葉をさらっと書いたけども、これは本当に大変だぜえ。そもそも自分の心がなんて言ってるのかなんてのを知るだけで50年くらいは費やしそう。
でもそれを知る旅路を人生ってした時に、おれの場合はさ「あ、面白そうじゃん」ってなったから、こうしているわというわけです。今日も世の中のどんなことよりも自分を見つめて生きています。
いい時間である。ありとあらゆる「けしからん」達には恐々しながらもつくり笑いを、そしていつか、心からの笑顔を向けられるようになっていくのかどうか、乞うご期待である。