HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

薄情な自分を許すようにしている

自分にある悪いところってものを知るとなんとかして力づくでも直したくなるもんです。自分もまたおんなじです。

いまもなんとかしたいことはある。
特にあるのは、人に与えていることがとても少ないこと。

応援のメッセージだとか、作ってあげるご飯だとか、お金だとかいろんな与えうるものを与えられてないこと。
例えば人の話を聴くときからもうすでに、あまり深くは聴いていない。話を聞きながら自分と照らし合わせて結局「自分はどうなのか」とひたすら考えてたり。
例えば、今はひたすら自分の仕事を進めることばかり考えて、だれかの誕生日を忘れて贈り物を買っていなかったり。
例えば、SNSなんかを見ていても、人の書いているものにほとんど関心はなく、自分が何かを発信したときはやたらと気になったり。
今は、ひたすら、自分自身に関心がむいているのだ。人が与えられることを求めてることを知っていても、それ以上に自分に向いている。
我ながらなんて薄情なのだと思う。決して褒められたことではないだろつ、と心の底で堅く思っている。
でも、その薄情さ、あえて変えようとはしない。たとえ冗談であっても否定したり卑下することもしない。
ひたすら自分に向いていたい自分がいるのは、それだけ欲していることがあるからなのだ。まずは、それを満たしてやりたいのだ。
それができてもいないうちに他人のことを云々考えたところで、なにもできない。自分がすり減るか、なにも効果がないか、なのだと思う。
自分が求めるまま、動いていけば、自然と、人と繋がる自分にもなっていけると信じている。
「愛」というやつがなんなのかよくわかってはいないけど、きっとそんな風にできあがっていくものだと思うのだ。
おいでくださりありがとうございます。
となると、自分に向くこともまた「愛」でいいだろう、と。