HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

今の自分がとても支えられてる「結婚」について

「結婚」という言葉に最近とても支えられてるのでそのことについて書き記しておきたい。

 

以前ぼくは「安心と結婚した」というなんともらすぐには伝わりずらそうな記事をFacebookに投稿した。

 
これは友人であり人生の先輩である銀ちゃんと、とあるワークをしている中で教わったことだ。
 
結論から言うと、「結婚」とは「自分の一部にする」という決意を指す。
 
ぼくは自己紹介をするとき、自分をとても「臆病者」だと伝えることが多い。
 
これはほんとうにそうだと思っていて、特に人からの目線はとてもよく見ている。
 
だから、何をしていても怖い感覚があって中にある言い知れぬ恐怖感。
 
そこに、安心と結婚するという感覚を教えてもらった。
 
ワークをものすごく省略して説明すると、「安心さん」という役の人を自分の横に置いて、広い部屋の中を一緒に歩きまわる。
 
「安心さん」は自分の感覚を伝えてくれて、「とても楽しい」とか「しっくりくる」と湧き上がる気持ちをぼくに教えてくれる。
 
安心さんはぼくの味方でいてくれる存在だった。
 
でも、それでも自分は不安だった。
 
「この人は僕についてきてくれる。でも自分に付き合わせたばっかりに、不幸になったりしないのか。」
 
そう思っていることを素直に銀ちゃんにお伝えしたら銀ちゃんは笑って伝えてくれた。
 
「結婚ってのは、自分の一部にするってことなんだよ!」
 
頭を思いきりかち割られた。
 
いままで知らず知らずのうちに染み込んでいて、自分の中に存在することすら意識していなかった考え方に気がついた。
 
一言でいうならそれは
 
「どんな自分であってもついてきてくれるような人や物なんていない」
 
という感覚だ。
 
言い換えるなら
 
「自分の一部なんてものは、ない。」
 
具体的には、自分に友達や恋人ができたとしてもその人たちに気を遣わなければ離れていくように思う。
 
自分が好き勝手に存在していては何者もついてはこない。
 
そんなイメージを根底に持っているので、それをそのまますべてのものに投影して見る。
 
故に怖かった。何を得ても、いつか失ってしまうのが怖い。いつもいてくれるためにはご機嫌をとらなければならない、それが疲れる。人と関わるたことを億劫に感じていたのだった。
 
そこに、結婚である。先にも言った「自分の一部にする」という感覚。一部になれば自分の思うままなのだ。
 
自分が幸せに思えば相手も幸せ。不幸に思えば相手も不幸。
 
「安心」という抽象概念との結婚もまた然り。このワークでは抽象概念を擬人化することによってずっとついてきてくれる感覚を体感し、刷り込ませることができた。
 
この世界は、自分がただあるがままでいるだけで、共にいたいと思ってくれる人は必ずいる。誰なのかも何人なのかもわからないが必ずいる。一部となり得る人が必ずいる。
 
現実的にそういう人が存在しなくとも、さらに自分のイメージを使う。「安心」が共にいてくれることを。
 
この「安心との結婚」は自分自身が「ただ在ること」を無理やりではなく、自然に柔らかく肯定するためにとても役に立つイメージで、そのまま他人にも同じ肯定を向けることができる。
 
「心の平和」とも言える心境への糸口になっていると思う。
 
とても心地よい。
 
このワークを自分の言葉で説明しきることは難しいので興味をもったひとは気軽にお声かけください。
 
この気づきに至るためにこのワークで協力してくれた様々な人にこの場でも感謝を記録します。ありがとうございました。
 
おいでくださりありがとうございます。
 
いつもいてくれる存在があること以上に、「自分がちゃんとそう思うこと」の方が大切なんだなあ。