HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

ナチュラルということ〜意識を超える、漫画のような写真を残す〜

「ナチュラル」って言葉だけで思い浮かべることはいろいろあるし人によって違うものになると思います。

僕にとってのナチュラルもいろいろと要素があってそれをまとめる方がいいとは思うのですが、いまはまとめないようにしています。ナチュラルでいるのは相手、千差万別の相手には千差万別のナチュラルがあるからです。

そうおことわりした上で、あえてぼくのナチュラルをお伝えするならばら、「意識を超える」ということです。なんだか凄そうな言葉になったと苦笑してます。笑

例えば、笑顔の写真を残すとします。でも一人の笑顔でも瞬間瞬間で全然違う笑顔になります。

意識して笑っている笑顔
その場を明るくするための笑顔
相手を癒すための笑顔
力の抜けた笑顔
弾けるような笑顔
好きな人といるときの笑顔
わくわくしている時の笑顔
などなど他にもわんさか…

表情はこころの状態の結果です。なので、こころまで踏み込んでその笑顔が表しているものを感じとると、さまざま表情が分かってきます。

ちょっと余談ですが、ぼくはやたらと人の顔色を伺って生きていることが多かったのですが、こんな形で活かすことができています。

話をはじめに戻します。

そんないろいろな笑顔ひとつひとつは大切なのですが、せっかく撮影するのであれば「意識を超える」笑顔を残したいと思っています。

例えばですが、撮影中にたまたま自分の大好きな人と偶然バッタリ遭遇したら。こんなとき絶対に我を忘れて笑っていると思います。

もう、カメラを向けられていることなんか忘れてしまうくらい。まさにナチュラルな瞬間です。
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ナチュラルという言葉にはぼく自身がナチュラルになりたいという思いもあります。いや、むしろ透明人間になりたい。

この感覚をちょっと漫画を例に語ります。

漫画ってイラストですから、登場人物の最もナチュラルな表情が描かれています。喜怒哀楽入り混じる複雑な感情をしっかり読み手に届けるため、その描写はプロになるほどとても緻密です。

これをカメラマン的に読み直します。つまりそれは、「一コマ一コマがそこには実在しないカメラマンがいる」のと同じことです。登場人物たちはもうカメラの存在なんか頭に(というかそもそも)ありません。だからこそ自分のナチュラルが思い切り表れた写真(コマ)になる。

まあ、もちろん、イラストだからなんですけれども。笑

でも、もし僕がなれるのであれば、こんな漫画のような一枚をおさめたいのです。だからこそ、存在をまったく見ることのできない透明人間になりたい。

もはやそれは、カメラや撮影という意識を超えた世界です。そんなナチュラルな世界をおさめたい。

おいでくださりありがとうございます。

じぶんにとってのナチュラルを発見すること、これからもずーっとやっていくこと。

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