HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

「お金とじぶん」について今分かっていることをいったんまとめる。

いま、自分にとってなかなかハードルの高いことに挑戦するところです。
 

撮影の値段をあげること。

 
ハードルが高いことをするためには人よりも回りくどいことをしたくなってしまうもので、自分の場合でいえばこうして言葉を書いていくことになります。なので今回は頭では気づいていることを、ほぼ自分のために、やたらめったら書いていく形式です。
 
・お金を留めるものではなく回していくもの。たくさん得てたくさん使っていいのです。いやらしいものだから控えるべきと誤解するのはいい加減やめなければいけません。どこかで思い込んだこの認識はかえていかなければ。
 
・ぼくはほんとのところ自己評価が高いんです。でもそののわりにいい子ぶってるんです。安いお金で撮影していればいい人に見られると思っている。でも本当はもっとたかくていいとおもってる。その矛盾、嘘は決して自分も他人も幸せにはしません。
 
・「安さ」を一番の価値に置いている限り「安さ」を求めているだけの人しか集まってきません。その人達の目には真剣に物を作っている「あなた」ではなく「安さ」しか映っていません。
 
・お金をもらうということは、与えることができるようになるということでもあります。循環を作ることが大切なのであれば、自分がちゃんとその一つになるために、ちゃんと得ることです。得るから、与えられる。覚えましょう。
 
・「好きなことを仕事にしているのだからお金をもらうのは我慢せねばならない」という思い込みがあります。それは言い換えると「苦しむこと=価値」という構図を無意識に認めているということです。それを認めているかぎり、すすんで苦しいことをして、過労死だの鬱だのするまで酷使するという現象の一助になっているのだと思います。
 
・高額なカメラを買うというリスク。技術向上のための様々な投資。なによりもカメラを持って生きているということ。お金をもらうのに充分なことはしているはずです。己の不完全さばかりみるのではなくいまあるものをちゃんと噛み締めることです。
 
ブログ-30
 
おいでくださりありがとうございます。
 
このスリル、楽しんであじわおうとおもいます(^-^)/