HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

幸せになるのを邪魔しているのは、たいがい自分だった。

ことばを使って語ることをちょっとお休みしていましたが、いろいろと思うところがあって再開するに至ります。それについてのお話はいずれしてみたいと思います。

・幸せになれない理由ってのを考えたりしてたことがよくありましたが、最近つくづく思うのは、それを邪魔していたのはほかでもない自分だったんだよなあってことです。
 
これについてはいろんな思い出をつかって言うことができるんですけどあえてたとえ話を。
 
憎くて憎くてしょうがないAさんがいる、Aさんはいつも自分のことを否定的に見て失敗すれば冷笑し邪魔されて成功するための足枷となっている。なんとか距離を置きたいと思っているがそういうわけにもいかない関係性だ。
 
こんな人は周りにいるでしょうか。ぼくはいました。こうして自分の言葉で表現したりカメラマンを個人で始めたりすることー自分が幸せになるためにしたいことーにはじめ抵抗があったのはこういう人の存在でした。
 
でも、これが「単なる思い込みだったんだ」って気づくことができました。その人の存在が「足枷」になっているのは「足枷」と認識した自分がそこにいるのであって本当に足枷なのではない。何か邪魔のようなものをしてくるのであれば、それを乗り越える楽しさを提供してくれているのだ。
 
そんなふうに思い直すことができるようになったら、一気に可能性が広がって先のことが楽しみになりました。
 
ブログ-22
 
もちろんもちろん、こんなにいつもうまく思考をコントロールしているわけじゃありません。憎い人は憎いし嫌なものは嫌です。悟りを開いたわけでもあるまいし。でもね、そんな時でも「憎いんだねぇ」「嫌なんだねぇ」と、自覚して自分を撫でてやることなら結構できるようになりました。今はこれで充分なように思います。
 
今日もおいでくださりありがとうございます。
 
「憎みたくて憎む」「不幸になりたくて不幸になる」なんてのもあるくらい、ひとの根っこは奥深いものだとおもってます。