HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

無題

※下書きをそのまま公開しています

特別になんの時とかは言わないんですけれども、目に見えて変わってないと気が済まないってことありませんかね。あれは別に当然っちゃあ当然のことだと思うんですけれど、きっとそればっかりじゃあいろいろと窮屈なんだろうなって思ってます。

つい最近の自分もそんなかんじだったところです。カメラマンとしての仕事とか、実力とか、もう気がついたら、「どんどん成長していかないと」って自分を追い込んでいます。いや、もちろん自分の力ではそれくらいがちょうどいいのかもしれませんけれども。

ただね、こう、目に見える変化だけがオッケーってなるのはちっとも建設的じゃないなって思うんです特に最近。

カメラの話で言えば、いい発見がなかったとしても、カメラを触ることができた。シャッターを切ることができた。果ては触っていなくても写真に思いを馳せて目の前の風景を見ることができた。とか。もう、気持ちをそこに傾けている時点で前進したって思える感性ってほんとに大切だなって本気で思ってるんですね。

見方を大きくして「生きる」って行為もそうだと思います。ぼくなんか最たるもんで、生きて時間を積み重ねている以上、ほんと成長したくてしょうがないんです。目に見えて変化していきたいんです。だから変化しない時があるとしゅんとします。いよいよそんな日が重なってくると危機感を感じ始めます。焦ってばかりの人生です。窮屈ったらありゃしない。

だからこそ、変化なんかなくたって、生きることができてる時点でまるをつけてあげられる方がもっと健やかでいられると思うのです。そして気力が湧き上がってきたときにまたガツガツといきたくなるからガツガツいけばいいのだと思っています。

それに、「なんにも変わっていない」って認識はいつも自分含めた誰かが下しているものでしかない。本当にそうなのかな。もっと静かに自分のことを見てあげて始めてわかる成長だってたくさん転がっていそうなものだと思う。