HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

持たざる自分が受け取ったときの話。

先日はとある関係で知り合った方の主催する30人程人が集まる交流会にカメラマンとして参加した。その方はカメラマン業を始めた自分に様々なはからいをしてくれた。

会の当日までに自分が運営するブログにぼくのことを紹介してくれようとしたり(結局僕がかけませんでしたが。)とても人見知りでなかなか人に話しかけることのできないぼくを積極的に周りの人に紹介してくださったり、そもそも写真が必要なわけでもないのに撮影代を払ってくれた。

また、ぼくに対してではないが、この日会場に使った店にもまたはからいがあった。会場となった店は僕とはまた別の、26歳の方が店長で開いたお店だったのだそうだ。これもまた、主催の方がその人をたくさんの人に紹介するためのはからいだった。

彼はとても与えることに徹している。

彼とぼくはまだあって3回目程度だ。それなのにここまで優しくされて感激だった。なぜこんなに気を利かせてくれるのか、彼は会の終わりにみんなの前で挨拶しながら言った。

「26歳という年齢は、自分もなにかをおっぱじめた年齢、思い入れがあって応援したくなる」とのことだった。また、「こうして自分よりも下の人間が頑張るのを見ていると自分も頑張りたくなる」と笑顔で答えてくれた。本当に優しい笑顔だった。ただただ、頭がさがるばかりだった。

彼はこの会をただ、人が繋がるためのいいきっかけを作るためにやっているのだそうだ。そのために利益は上げず無理のない参加費で参加できるようにし、大々的に広報するのではなく、友人の友人まで参加可能の交流会にして続けているとのことだった。その姿勢で続けて2,3年ほどになり毎回30人近い参加者で賑わっている。

当のぼく自身は緊張のあまり自分から多くの人とは話すことができなかった。せっかく紹介の機会を与えてくださったところだがどうしても大勢の人がいるところが最近苦手で申し訳なかった。

それでも、ぼくは確実にいえることがある。

このやさしくされた経験は、ずっと持ち続けている。

持てる人が持たざる人になにかを与えることは持てる人の想像以上に持たざる人の心に大きなものを残すのだとぼくは思っている。「自分もこんな人になりたい」という憧れが生まれる瞬間であると思う。それが発芽するのがいつになるのかは明確にわからないが、そこからの行動の一つ一つの根にはその経験がちゃんと根ざしている。というのが実感だ。

逆にぼくはなにを持たざる人に与えることができているだろうか。いや、むしろ自分以外の誰かに与えることができているだろうか。少なくとも自分はこれけらずっとそう自分に問いかけるのだと思う。

あの彼の笑顔の笑顔にはそんな力を自分に与えてくれた

おいでなさっていただきありがとうございます。

もらってはおくりもらってはおくり。そんな流れできっと世界ができている。

ブログ公開-13