HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

絵画は描き手の心と対話すること

「絵に上手い下手は関係無い。」と絵が描ける人に言われても説得力を感じません。ぼくは絵を描くことにずっと苦手意識を持っていました。でもそれは本当なんだと思える体験をすることができました。

とりあえず、絵が上手に描けない。

この日はアートセラピストのはなちゃんと一緒にポストカードのような絵を描くことに挑戦です。使う画材は色鉛筆。手軽に始めたので自分の手帳(ほぼ日手帳)に描いてみました。まずは最初の絵。はっきり言って白紙に何を描いたらいいのかわからず戸惑い、なかなか書き出せない自分が情けなくなり、なんだか泣きそうになっていました。そしてやっとこさ描いたものがこちら。

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綺麗にまとめようとしたものの、良いと思ってもらえるような出来にはならず。はなちゃんは始め「きれいじゃん」と励ましてくれました。でも、なんだか描いてて気持ちよくないのです。

次に描いた絵はこちら。

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うーん、色を積極的につかってやや思い切り書きましたがなんだか、美しさはなく。。

なんだろう、すごく楽しくない。描いていて楽しくない。

大切なのは「上手く書く」よりも「自分が喜ぶ」こと

かの岡本太郎氏は「創ることそのものが喜びだ」「みんな天才になれる」と豪語していた。でも自分はまるでできないではないか。なんだか悔しくなり、でも己の無力さに悲しくなった。

だから決めました。「自分が気持ちよくなるように描こう」と。

絵を上手に描くということはすでにあるたくさんの絵の理論、体系の型に当てはめる行為だ。でもそれは正解のない世界であるはずのアートの概念と矛盾する。アートを通して他人から上手いと思われることではなく、自分自身が喜びを感じることの方が大切なのだ。もう一度自分の心に問いかけた。「なにをしたいんだ?」すると涙が滲みでる寸前まできた。

もう、描ける。

ぼくは再度色鉛筆を手に取り、思い切り描いた。力一杯書いた。

そして、できた絵はこうだった。

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もはや、絵なのか。やり切りながらも若干の疑問を抱きながらはなちゃんに見せた。

わかる人は、描く人の心を見ている。

「泣きそうになった」

それがはなちゃんの感想だった。まさに描く前の自分の心そのものだった。

この絵は決して作品として高い評価を得ることはできない絵かもしれない。それでもはなちゃんは感動してくれた。生まれて初めてもらった評価だった。

「初めの絵にはこの描き方に迷いがある。タッチを見てそう感じる。」と続けるはなちゃん。

そうか、色使いだけでなくそんなところまで見ていたのかと感心した。そういう細かいところ一つ一つをみて完成度よりもその時描く人の心の状態を想像し、それを言語化して伝えることができる。それがアートセラピストなのだと感じた。自分の本気が相手に通じた時の気持ち良さは想像以上だった。自分の表現が一皮むけたように思えた瞬間だった。

ブログ公開-11

心をのびのびとさせることのできるような絵を描くことはとにかくおすすめだ。興味のある人はハグハウスのはなちゃんまで是非。たじまに連絡してもらっておつなぎもできます。みんなもっと気持ち伸びやかにできたらいいなあと思います。