親子の方の撮影に行ってきました。子供はほんとにもう、スーパーモデルです。何回シャッターを押しても飽きない多彩な表情を見せてくれます。撮っているこちらも撮りがいがあるというものです。
僕自身、子供が特別好きというわけではありませんが、接していて自然になれるのは、やっぱり子供だったりします。だから子供とすごす時間は好きです。そんな僕なのですが、子供に対する強い想いのようなものは持っています。
いろいろと前置きしたって、あまり意味はないかもしれませんし、報酬をもらってカメラマンをやっている自分が言ってはいけないのかもしれない。が、本当に思っていること。
カメラは壊したっていいんだよ。
小さい子供の撮影をしている時、時折こどもはカメラに興味をもってこちらに歩み寄り、レンズにタッチしたりしてきます。僕なんかはもうレンズにつく指紋も含め「これはいい写真になるぞ」としめしめとファインダーを覗いているのですがそんな時、親御さんはとても心配な顔をされます。
当然っちゃあ当然です。やっぱりカメラマンの持つ高いカメラを我が子が壊してしまうなんてことになったら大変です。弁償とかいろいろ考えたら僕が親であると想像しても青くなります。それはカメラを大切なものと思っていただける気持ちの裏返しですから、とてもありがたく思います。カメラマンとしての自分だって当然ですが、壊れてしまわないように注意は払ってもいます。念のため付け加えるなら、壊そうとして壊されたのなら普通に腹も立ちますよ。
ですが、一方で壊れることもまた受け入れたいと思っています。
理由はいろいろあるのでまとめてみました。
・子供に怖い顔をして怒ったりする親を見るのが好きではない。
・壊されることを恐れて撮影していたら本当にいい写真など取れない。
・子供の失敗くらい笑って許せる人でいたい。
・カメラも物なので、いずれ壊れることは自然。
故に完全な弁償を求める気持ちもありません。当事者が謝罪したい気持ちがあるならそれをできるような形にしていただければありがたいですし、なければないでしょうがありません。十分です。
もちろんカメラマンの活動が休止することになりかねないので辛くはなりますが、生きて行く手段がなくなったわけではないし、壊した本人にとってはカメラを壊したこととして良い経験になると思いますし、自分にとってもその時またカメラというものと違う向き合い方ができる良いきっかけになるでしょう。
なによりも「間違ったらおしまいだ」という感覚こそが今の社会の閉塞感だとも思っているので、それを自分が発したくないという気持ちが強いのです。そんなわけで、僕のカメラのご心配はそこまでしていただかなくても大丈夫です。そんなことを思いながらも、カメラはやっぱりやりがいがあって楽しいので、ひたすら守ります。メンテナンスに精を出すことにします。
おいでなさっていただきありがとうございます。
カメラは大切だけど、あくまでツールなんです。