HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

生きてきたその経験は必ず誰かの役に立つとしてみた

極論だと分かっているつもりですが、自分の生きている時間一秒一秒は、それだけで誰かにとって嬉しいものである。と言いたくてうずうずしています。

美味しいものを食べる。手触りの良いものを撫でる。失くしたもののことでずっと悩んでいる。欲しいものが買えなくて困っている。大切な人を亡くして悲しんでいる。何もしていない、無の時間を過ごしている。

どんな時間を過ごしていようと、その経験そのものが、自分にしかない資産になります。そしてそれをこの世界のどこかに必ずいるそれを必要としている誰かのところに届ければその対価は帰ってきます。経験は自分だけのオンリーワンであるから、他でもない、自分だからこそ役に立てたという経験です。

そんなことができるとしたら、想像してとてもワクワクしてきます。

他でもない自分こそが必要とされれば、もちろん嬉しいですし、もっとこうしてやろうとかあれこれ考えたりすることができるようになります。自己肯定感というものはそういう経験の繰り返しで大きくなっていくことが自然なはずです。

なので、自分の経験や考えをなにかしらの形で外に出して伝えることはすごく有意義なことだと思っています。それが何人に響くことになろうが全く問題はない。少しだけでも響く人がいるなら十分すぎるほど。0人でも、それは今の自分の身の回りにいないというだけのこと。言った人が生きているうちは受け入れられず、後の世代の人がそのすごさを発見するなんてこともあります。

働いていようがいまいが、強かろうが弱かろうが、上手だろうが下手だろうが、あなたの生きている今には他人に届ける価値がある。そういう世界の方が、自分は好きです。

おいでなさっていただいてありがとうございます。

極論でも、好きなことを話すのは気持ちいいもんです。

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