自分はどんな人だと思われるのだろう。
ちゃんとカメラを続けていると思われたくてカメラを続けようとしたりしてる。
ちゃんとカメラの人だと思われた方が売れるもんでそう見せようとしている。
でもやっぱりそういうものって別に本質になるようなわけでもない。
本質ってのはこんな言葉では表せないようなところにある。
自分の内側で自分が感じている。
そういうものでしかないなあって思うのです。
だからそれを無理に言葉に出して、これが自分です。という行為に惹かれない。
カメラとか言葉とか、ちゃんと続けようと思うのは、自分をそういう見え方にしたくてやっているようなところがある。でもそこにはやっぱりエネルギーがすくないね。
積み重なっているのは自分だよ。カメラでもなんでもない。自分が積み重なっている。それで安心していいのだ。