なんでもいい。なんでもいい。なんでもいいの谷の底まで降りてみよう。
底に行けば行くほど、周りには誰もいなくなって、怖くなってくるけれど、
それでもおりてみたくなる自分のこの衝動。それにちゃんと付き合ってあげないとそいつはあとでとんでもなく怒り出す。
今、じぶんは少しずつ谷の底まで降りて行っています。
お金はどこかの会社に入って自分で稼ぎ出さなきゃいけないんだということとか、こんな場所ではこんな立ち振る舞いをしていなきゃいけないとか、彼氏として友人としてこんな自分でいなきゃいけないんだとか、この目標を達成するためには最低限これをしなければならないとか。
そんないろんな「そうしなければならない」と思っていたことをすこしずつ取り払う練習をしています。それを谷のようにたとえて冒頭の表現になりました。
この「なんでもいい」がふっと自分を楽にさせてくれます。そしてその楽になった直後、「自分で創り出していいんだ」と勇気のようなワクワク感がわいてくるのです。
この文を書くときなんかも、始めは「綺麗に書かなければならない」と無意識に思っている。でも、なんでもいいと自分に言えた瞬間、ふっと楽にここまですらすらと書くことができました。
そりゃあ、「なんでもよくないこと」の方が多いのかもしれない。でもなんでもよくないなんでもよくないとみんながみんな、言い聞かせすぎて随分居心地が悪くなったんじゃないだろうか。
なんでもよくないを重ねた先に生まれるものってきっと価値はあるのかもしれないけれど、なんでもいいの中で生まれたことの中の価値ってもっともっとたくさん隠れてるんだろうなと思いますよ。なんでもよくないが正しいなんてのは幻想なんだと思うんだなあ。
おいでなさっていただきありがとうございます。