HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

1日地蔵やって645円お賽銭していただいた話するぞ

唐突だけれど、自分の本職は地蔵です。

と、言葉で言ってばっかりでもアレなので、

 

初、地蔵っぽいことをやって見た。

 

初めての地蔵決行場所は地域のお祭り、

清瀬わくわく祭り

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これは自分も会員となっている

地域のNPO法人が主催するお祭りで、ちょっと見にくいと思うがこれくらい人が集まる。

 

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写真はこれ以上はお見せすることができないのだけれど、

ここで、会員である自分は祭りの全体の様子を色々撮影しながら

地蔵になることにした。

 

まず、こんな格好をしてみた。

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半袖短パンにあの、地蔵おなじみの、赤い前掛け。

頭はこの日思い立って刈り上げた。バリカンストッパー無し。

出来立てほやほや、新鮮な坊主である。

中学高校と坊主頭で過ごしてきた自分にはこれくらい朝飯前だ。

 

ちょっと地蔵っぽいポーズをとると

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こうなる。世に平穏あれ。

 

肩から下げているのはこれ

 

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今回の地蔵決行のキーアイテムとなる「お賽銭箱」だ。

それは地蔵の前に置いて在るものではないとか気にしたら負けである。

そして、ちょっとわかりやすくするために

こんなボードも作って首からぶらさげてみた。

 

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格好だけでキャッチーな地蔵になりたいが

やっぱり言葉での説明があると伝わりやすいものだ。

これらの装備を持ってお祭りの撮影をしながら「地蔵」として在る

 

いや、むしろこれは

地蔵として存在し、写真をついでに撮る

 

撮影したお祭りの写真はプライバシー的なあれで

ここでお見せすることはできないが、

結果として普段より良い写真がバシバシ撮れた。

 

そしてお賽銭は結果からいうと

 

645円集まった。

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お賽銭を入れてくれたのは、そのほぼ全てがお小遣いを持った子供達。

なんか知らないけれどきっと小学生の男子の間で流行ってるであろうメダルも入れられた。

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にしても、子供は使えるお金の量が限られているにもかかわらず、

よく入れてくれたものだと思う。

 

お祭りのあと、

このお金を持って大好きな清瀬ぎょうざの満州

ダブル餃子定食を色々なミラクルを噛み締めながらいただいた。

 

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この日の前まで無一文だった自分だったが

ちょっとの勇気を出したら餃子定食を食べることができた。

この現象からただならぬわくわく感を感じている自分がいる

 

以下に、今回初デビューの「お地蔵さん」で

体験したこと、感じたことをまとめてみる。

 

〜〜〜

 

お賽銭箱を下げていると一人、

成人の男性からお賽銭をいただいた。

お賽銭をいただく時にもし何かお願い事があれば

自分も全力で祈りを捧げるということをした。

 

男性に願い事を尋ねると、

男性は自分のことを語ってくれた

この近くで葬儀に関わる仕事をしていること

その前までいくつか仕事を転々としたが続かず、

この仕事でしっかり続けて生きたいと思っていること

礼儀や人との関わりを大切に職務を全うしたいと思っていること。

 

それを聴いた自分は彼のことを何も知らないにもかかわらず

彼のことが少しだけ特別な人に思えるようになった。

 

これは地蔵をしていなければ

きっと聞かせてもらえなかった話。

素直に彼の仕事が上手くいったらいいな。

そう思うことができた。

 

人のちょっと深い部分を少し共有するだけで

いい関係というものは作ることができる。

 

でも、誰とでも分け隔てなく

そうすることはなかなかできないのが

現実なのではないだろうか。

 

それを、地蔵という役割をかぶることで

できるようになる。

人との関わりの間口を作った。

 

一人一人誰にでも物語があり命がある。

そんな大切なことを

こんな一見ふざけた行いが

深く実感させてくれる。

 

~~~

 

こんな格好をしていると当然子供に絡まれる。

自分はそれがとても好きなので、わりと仲良くなる。

 

ある程度仲良くなった女の子が食べている焼きとうもろこしを見て

冗談半分のコミュニケーションのつもりで「良いなあ〜」とおどけた。

 

すると、そのとうもろこしのための100円をすっと差し出してくれた。

 

この、シェア精神である。

この何も考えずに差し出す感覚がお手本だなと深く感服しながらも

 

結局は餃子定食に使ったことを今、ちょっと反省している。

 

〜〜〜

 

ふと幾らか集まったお賽銭箱の中を見ると

500円ほどなくなっている。

少し前に子供達がよってたかってきていた時に

お金を取られてしまったのだと思った。

 

そのこと自体は、特に何も気にしていないのだけれど

このことからグッと強く思ったことがあった。

 

それは

【お金を生み出す方法を創造したい】

ということだ。

 

この世に「盗む」という行為が生まれるのは

その人の意識の中に「自分で生み出すことができない」

という強い前提があるからだと思う。

 

こどもってその最たるものじゃないだろうか。

自分は小さな頃はお金を生み出すことなんて

できないと思っていた、というかそもそも考えたこともなかった。

両親や祖父母からひたすらお小遣いをねだっている少年だった。

 

加えて自分は「お金は汚いものだ」という感覚を持っているタイプなのだが

ちょっと大人は子供をお金というものから遠ざけすぎなんじゃないかとも思う。

 

なんにせよ「自分で生み出すことができない」という前提はとても窮屈だと思う。

圧倒的に自由がない。

 

生きる時間を面白くする秘訣は

価値を生み出す方法を自前で持つことなんじゃないかと思う。

 

こう言ってしまうとちょっと難しく感じるかもしれないが

自分のこの地蔵のようなちょっとしたことでも価値になったから

餃子定食を食べることができたわけだし

価値を産む方法なんて、

本当はどんな人にも開かれているのだと思う。

 

頭を刈って変な格好をして存在しているだけの

胡散臭さ満点の自分がお賽銭をもらう

それで傷つく人がいなくて楽しんでもらえるのであれば

自分は立派に価値を生み出したと捉えることにする。

 

そして、誰にでも価値を創造できるはずだと訴えて行きたい。

価値というものはこれから、ますます多様になる。

 

このお祭りでは似顔絵を50円で売っている少年がいた。

そうそう、こういう姿なんだよね。と思った。

(その時の自分は買わなかったけれどさ、そこはまだ自分の未熟なところだ)

 

 

創造は人間らしさの結晶だと思う。

生きることの面白さはこの人間らしさを感じることに集約されると思っていて、

自分はその人間らしさに出会いたい。

 

創造の可能性が広がって

もっとたくさんの人が自由を手にすることができたら、

きっと楽しくて豊かだ。

 

~~~

 

お金って、みんな気にせずにはいられないものだ。

並々ならぬ関心があるからこそ、色々な観念が深くそこに

こびりつきやすいのだと思う。

 

そのお金に対して気負いするではなくフラットな感覚になって

ちょっとの勇気を出して

スッと人から手にしたことで

なんだか濃い時間を過ごした気がする。

 

地蔵は、一気にお金を稼ぐ手段には、多分ならない。

でも地蔵はたくさんの人と少しずつ関わっていく

手段としてとても有効な気がする。

 

たくさんの人と関わるとその分

たくさんの人の価値観を垣間見ながら関わることができ、

結果として人間の深い部分を味わうことになる気がする。

 

自分は地蔵だ。

 

求めているのは、人の平穏。

できることは、ただ在ること。

そんな自分でいることで、この世界に少しでも

たくさんの自由が生まれていくなら

これ以上の幸せはない。

 

〜〜〜

 

というわけで、今後は地蔵として活動します。

もちろん、写真はどんどん撮りに行きたいですが

それは、地蔵の自分として行う活動と位置付けられていくことになります。

近いうちにお知らせしましょう。お楽しみに^^

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