12.15(日)
みんなが1日休みの日。昨日の写真の編集作業のために編集して写真を渡しました。
家の中に飾ってある移住者の集合写真。昭和35年。
お世話になったみなさんと
昼食にチョリソーのスープとご飯。ご飯あれば何でも美味しく感じる。
夕方ごろ、親戚みんな庭に集まってマテ茶を飲む。
手巻き寿司やおにぎりとマテ茶。ここでしか見られなさそうな組み合わせ。
夕食にアサドの準備をしていただきました。大きな肉を2時間近くかけて弱火でじっくりと焼くそうです。日本じゃ絶対やらない焼き方だよね、と話しました。塊のままドカッと焼くのが南米流、何でも細かく切ってしまうのが日本流。故にいつも私はアサドの迫力に気圧されます。
おでんも一緒!
ポテトサラダも日本独特の食べ方だということに気がついた。
アルゼンチンと日本の料理がまぜこぜプレート。貴重です。
12.14(土)
今日はホストしてくださっている菊江さんの息子さんが通う日本語学校(日系移民に日本の教育を提供するための学校)の卒業式なので見学させていただくことに、
と、思っていたらなんと菊江さんから撮影を頼まれる。渡されたのはなんと
Canon5DMark4(同社の看板プロ用機種)だとぉぉぉぉーー!!!????(昼食のハンバーガーを加えながら)
というわけで久々に燃えてきました。ただし、撮影はカードの容量や持ち主の使い勝手を鑑みてRAWではなくJPEGのみの撮影です(←カメラ野郎に通じる話)。
卒業式の後は学芸会も催されました。
卒業生の「将来の夢」作文朗読
ドラえもんの主題歌でダンス
獅子舞踊り
劇・桃太郎
保護者の皆様の秘密の出し物・ダンス
ダンス・糸まきまき
合唱「となりのトトロ」
会が終わった後も色々見させていただいた。
日本に興味のあるアルゼンチン人向けに手巻き寿司を食べる会。
来年の1月11日には年に一度の最大イベント、「盆踊り大会」がある
ので、そのための練習として太鼓や踊りの練習をする姿も見られました。後は空手部が活動していたり。放課後の学校のような雰囲気が好きでした。
写真は全部で1500枚撮影して440枚ほどを渡しました。
自分の中では全然満足のいく出来栄えではなく、やっぱり色々奥が深いなあと思い知らされました。今のスタイルにいずれはまた本格的なカメラを入れて行きたいと思うけれど、写真撮影もやるならもっと全身全霊のエネルギーを注がなければ納得できず、旅どころではなくなりそうだと思うのでした。
12.13(金)
ラ・プラタLa Plataは地図上で見てもピシッとしている街。ブエノスアイレス州のキャピタル。
この街はパラグアイのアスンシオンでお世話になった方の出身地で、勧められたので少しだけ歩いて写真を撮った。が、個人的には何も考えずに歩きたい気持ちが大きく、何が何なのかをよく調べたりもせずにぶらぶらしていた。
各通りには番号がそれぞれ振られていて、数字だけでどのあたりかがわかるようになっている。
街路樹にたくさんのみかんの木があるけど、みかんは全然美味しくないそうです。
こういう雰囲気のものが立っている。
街の中心部にはシンボルのカテドラル
内部で見たもの。
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夕食ではミラネサをブルドッグとんかつソース、お米と一緒に食べられることにえらく感動してしまった。ビバ日系!
イタリアとかスペイン系の人たちはミラネサに何もつけずに食べるのが基本。とんかつソースとか照り焼きソースのような日本の味は甘くて奇妙に感じられるんだとか。わかってねえなあと思いながら食べ過ぎてしまうのでした。大感謝です🙏
12.12(木)
エミリアーノ宅を出発し、お隣の街、ラ・プラタの付近に住む菊江さんのお宅に到着した。菊江さんはアスンシオンのご家族の方々の友人でもし行くことがあればと連絡先をいただいていた。
地図で見るとこんな距離感。
エミリアーノは芸術家で、アルゼンチンの小学校で美術を受け持っている。出発する前に彼の描いた奥さんシェシカの絵を撮っておきたくなった。
それから写真。6年前に初めて知り合ってからの生活の変化。
彼は波長が心地よい人でちょっと珍しい。また会いたいなと思うのでした。
菊江さんのお宅に向かう途中の道はなんかすごい田舎道
途中、完全に瓦礫で塞がっている箇所があった(写真奥)。幸い木々の間に通れそうな小道を発見して通り抜けることができた。
出迎えてくださった日系アルゼンチン人の菊江さん。ラ・プラタで印刷事業所を営まれていて、日本語でのお話はスムーズにできる方でした。
夕食は広いお庭でバーベキュー。「アサドAsado」と呼ぶのかと思ったらこれは「チョリソーChoriso」なのだそう。骨付き肉がアサドで骨なしはチョリソーのなるそうです。名前の棲み分けまだちゃんとわかっていません。
「焼いてその場で食べるのが一番美味いよ」とアドバイスされてその場で食べます。本当にその通り。
このお肉は奥さんの幸子さんがご用意してくださったもので、味付けのニンニクやレモンやペッパーが絶妙でものすごい厚みのタン塩を食べているようだった。実はこれまで体験してきたアサドは味付けが塩だけでなんか物足りなかったのだ、ということにここで気がついた。
そして何よりご飯。肉には白ごはん。私は白ごはんがないとテンションが半減する。でもアルゼンチンは基本肉だけで満足するんですよね。ここで生き返りました。
あと、写真に写っているきゅうりの漬物とか、オクラ焼きもやっぱり美味しかった!
こんな感じで家族みんなで外のテーブルを囲んでの夕飯でした。ありがたやです。
12.11(水)
一日エミリアーノ宅に滞在。夕食のピザを買いに出かける風景。
12.10(火)
マヌエル(17-18年のアルゼンチン旅で出会った友人)に「パリージャParrilla」で夕食のご馳走をしていただいた。
パリージャは肉のグリルを主に取り扱うレストランで、その食べ放題にご招待いただいた。
肉の名前とか種類がよくわからないのだけどいろいろと運んできていただき、存在感のすごい牛肉たちをお腹の限界までいただいた。日本ではボリュームが大きすぎる肉が手軽に楽しめるのがこっちの雰囲気だよね。
ちなみにワインももちろんありますが、私はどんどんお酒を楽しめなくなってきているので、締めのシャンパンだけをいただきました。グラスにレモンシャーベットを入れてシャンパンを注いで飲むスタイルを初体験しました。
肉は冷めたらまだたくさん残っていてもすぐに店員さんが下げていってしまう。ちらりと見えた厨房にあった大きなグリル、この国もまた肉食大国であることを実感させられるのでした。
ちなみにアルゼンチンの肉はブラジルと比べて柔らかいと評判がありますが、自分の実感としても確かに、やや柔らかめかな?と思いました。
それからこの国はイタリアやスペインから移住してきた二世や三世の人が多く、食文化もそっちの気配がする。肉の付け合わせはパンが基本で、ご飯は二の次になる。というところが個人的にはもどかしいのでした。笑
それから食後にアイスを食べるのが当たり前という感じ。これもやっぱり安定して美味しいです。
『Parrilla El Tano』というお店。El Tano はイタリア人という意味だそうです。
店内は出来るだけたくさん客が入れるように席がぎっしり
マヌエルと娘のマカレナと3人で食べました
シャンパン
アイス
店は基本満席の様相で、誕生日の人がこの日は10人くらいいらっしゃいました。
私は滅多に食えない肉をたらふく食べられて最高ぉー!と思っているわけではなかったです。
動物をなんとも思わずに殺して食べる(しかも平気で残飯を捨てる)事を狂気に感じていたりとか、肉がそもそも身体への負担が大きくて辛さを感じるとか、そもそも食べない方が健康的な気がしているとか、旅してる間にいろんな変化があってまあ複雑な心境でした。
友達の招待であるというのと、一つの文化を実体験するということを動機に参加したというところです。
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12.9(月)
レオナルドのシェア家で体操や瞑想で時間を過ごす。去り際にたくさんの食べ物を譲っていただき、また会おうと言葉を交わしてお別れ。
夜の約束を待っていたが先方の都合があってキャンセル。エミリアーノの家に戻ってきました。
シェアハウスのオーナーさんの娘っことマテツーショット
レオナルドは常によく気を回してくれる頼れる兄貴でした。本当にありがとう😊
エミリアーノの家では12.8からクリスマスツリーが飾られ始めました。私がパラグアイの教会で作って娘たちにあげた日本人形折り紙も飾られています(上の方)