HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

理由もなくただやっていく(ポドゴリツァ Подгорица〜ダニロヴグラード Даниловград)

小学生の前でのライブ配信の練習をした。小学生の反応を見てすごく勉強になった。自分は話をするときにすごく作り込んでたくさん準備をしたくなる。けれど、盛り込みすぎになってしまう。ちょっとずつで良い、それ以上に聞いている人が動ける余白を作ることの方が大切なんだと、そして、小学生が相手となるとその余白はもっとたっぷり用意するようなイメージが良い。

いつになるかは分からないけれどいつか、自分の体験をシェアすることをたくさんするイメージがある。伝える相手はぼんやり自分よりも若い人のようなイメージがあるけれど、絞ってはいない、どんな人の栄養になるのか分からないから。

ただ、伝えるということは本当に本当に奥が深いことで、納得がいくまで試行錯誤を繰り返したくなると思う。今回のような場を重ねて自分という存在の受け取られ方を学んで行こうと思っている。

 

作業が全然追いつかないけれど、作業だけになると心身の調子を崩すので移動。向かう先はあさひ君から教えてもらった岩に埋もれている修道院にした。

工事の真っ最中の砂利道をゆっくり走って行った。通るときは名前も知らなかったけれど、ダニロヴグラードという小洒落ているように見える、がちょっと田舎っぽい静かな町をゆっくり歩いて、蛇口が開きっぱなしの、多分、自然水のような水道で水を汲んで、青い川を眺めながら通り過ぎた。上り坂をゆっくり歩いて、羊や牛を目にして、犬に時々吠えられた。

日が暮れる頃に辿り着いた簡易宿泊所付きレストラン。オーナーさんと話して、レストランの裏手にテントを張らせてもらった。ゲストハウスの備え付けのシャワーを使わせていただいてありがたかった。レストランの席で作業をしているとリンゴジュースもサービスしてもらえた。観光客にタダでキャンプをさせる準備があるような場所でもないのに柔軟に対応してもらえてとてもありがたかった。

 

 

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先日、ライブ配信のための打ち合わせの時に「旅をして自分はどう変化したのか」という質問を受けて、その場である程度答えたけれど、それから自然とより深く考えたくなって歩きながら頭の中はずっとそのことでいっぱいになっていた。

最近ネットで読んだ漫画で「理由もなく、ただ、やっていく」という意味のセリフを見た時、それがとても心地よかった(そのシーン自体はとても自分とは重ならない、殺伐としたものなんだけれど、そこも含めて良かった)のだけど、そうだな、いまの自分は、「理由もなく、ただ、やっていくんだ」って、素直に思っている気がする。

それは「な〜んにも考えません」って全部投げ出しちゃう感じとか、開き直っちゃって「理由なんてものは無意味です」って拒絶しちゃうような感じとか、そういうことではない。理由も目的も正解も、自分のやることなすことの先に用意したい。だから散々それについて考えてきたし、今だってそうだ。

だってほら、経済的貧困に苦しむ人の助けになるとか、理不尽な暴力を止めるとか、子供やお母さんを守るとか、豊かな自然を後世に遺すとか、この世の真理に通じるような芸術作品を作るとか、人類や誰かを真摯に愛するとか、そういう「誰かのため」になる旗を掲げることができたらかっこよくてモテそうじゃない。そういうの今でも憧れるさね。モテるの嬉しいし。

でも今は、相変わらずそこを考えたりしても、どこか「理由もモテも、ただの飾りに過ぎないんだ」という感じで、没入するのではなく、軽く構えていられるくらいになってきている気がする。静かで、すごく心地いい感覚だなあと思う。

この心境につながることだから付け加えるのだけど、ご飯をあまり食べなくても良くなってきている感じがする。お腹のあたりにずっと程よく力が入っていて、お腹が減らない。たくさん食べることもできるけれど1日1食でも苦しくない。でも全然健康体でいられる。これがすごく良い状態に感じる。