HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

力を抜く(ジロカストラ Gjirokastër)

もっともっと力を抜いて進んでいける。

極端な話、写真を撮ることも編集することもブログを書くことも、これまでのやり方ではオーバーワークのような感じがする。

行動が、というよりは、在り方、心掛けの部分でボタンを掛け違えているような感じだ。

旅をすることは道楽で、そこに投げ銭をもらうということはありえないことだから、せめてこういった仕事をして、お金をもらうことを許してもらおうとしているという感じ。義務感とか罪悪感のようなものを振り払おうとしている感じ。もちろん、今の形で続けていくことなんて不可能だ、応援してくれている人からの信用が無くなったり、金銭的に立ち行かなくなって不特定多数の人々から蔑視されたりしたら辛いなあとか、そういう自分の先行きに対する不信感や不安感もある。それは今の自分が無力であるという認識からきている部分もあるだろう。

こういった思いは旅に出る前からただ自分がそう思うか思わないかの問題でしかない、ということを何度も確認しておきながらも、ずっと溺れてきた感覚だ。日々生きるためにやってくるいろいろなことに対応しながら生きていると気がついた時にはハマっていたりする。

この日は一日ゆっくり過ごす中で、ゆっくりそれらの感覚にピントを合わせて、「それは必要ない」「どんな形であれ生きていて良い」「誰のためでもなく、ただ自分の感覚赴くままに」「全てをゼロに返して、自分の一歩を」というようなことを確認していった。これがとても気持ちよかった😊

改めて、自分の奥深くで生じている感覚ってちゃんとそこに触れていないとアクセスできないのだなあということを実感した。旅しながら写真を撮ったり日々の生活に対応対応することに集中しすぎてしまって疎かになってしまう癖が自分には昔からずっとある。定期的に止まることが大切だなあと感じている。

一日カフェにいたのにほとんど作業は進んでいないけれど、今回この感覚にピントを合わせることに集中したおかげで、何か次元がまた一段変わったような気がする。より「世界の創造主としての自分」にピントを合わせながら動いていくことができそうな、そういう感じがする。

写真はなし。

あまりにも根幹すぎる話題で自転車旅としての記事ではなくなっているのだけれど、この時この場所でこんなことが起こったという記録を、残し続けてみようと思う。