HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

写真を眺める(シュコダル Shkodër)

PCの中の写真を一枚一枚見て、残す写真と捨てる写真を分けている。昨年7月のギリシャの写真からそれを始めている。これからまたたくさん撮るであろう写真の保管場所を作るための整理整頓なんだけれど、自分の写真を撮った時よりずいぶん変わった心境で眺められるのが良かった。

この旅を始めた時の写真を見て思った。

この時はどんな風に生きていくのかすら具体的なイメージが持てていなくて、生活がとても逼迫しているように感じられて焦ってしまって、その焦りに押しつぶされるあまり投げ銭を求め、見ている人が喜びそうな写真を撮ることに寄りすぎていたなあ。

見ている人が楽しめるような何かを作る気持ちは悪いことではないしこれからもずっと持ち続けていくと思うけれど、焦りがある分、自分が好きな瞬間、色、表情と言うものがすっぽ抜けている気がして、毎度そんなシャッターを切る度に写真を楽しむ気持ちが少しずつすり減っていって、結局撮るのが楽しくなくなってしまっていたように思う。

これから先、もっと自分の奥底を眺めながら撮ることができそうな気がする。同時にそれは見ているものをより眺めることにもつながるのだと思う。より、自分の中の全てとそれ以外と、全てが繋がったような表現に近づいていきたい。

この日は一枚も撮らなかった。