HIRO EATS THE EARTH

地球まるごといただきます

望みを掲げ神に委ねる(シュコダル Shkodër)

自分のやりたいこと、思いつくこと、全てが従来的なイメージでの「稼ぐこと」からは縁遠いと思う。よく旅して発信して売っていくならYoutuberが進められるけれど、動画編集があまりに大変で、今は敬遠している。写真を売ると言う方向も一度は考えたけれどちょっと違うなあ。なんだかわからないけれど手が進まない。強いポリシーがあるわけでもないのだけれど。こんな形でやっている他の旅人を少なくとも僕は知らない。つい最近もYoutuber旅人を何人か発見した。すごい努力をしているんだろうなあ。

お金が必要なのだからとりあえず「売れる」ということをまず求めていくべきなんだろうと思う。でも、「売れる」は望みの中心ではない。

望みの中心は自分の足で地球を移動すること。それがどうなっていくのかを記録すること。体験したことも考えたことも自由に残せるのは自分にとっては文章だったからブログをこうして書いている。ビジネス要素はないからこれの動作を大道芸のようなものとして位置付けた。だから「投げ銭」としている。

自分は「売れる」ということが、生存する権利を得るための義務のように思いこみすぎたのではないかと思う。売れるということは、本当に売れたい人が選ぶ選択肢。自分だってもちろん軽く考えれば売れたいけれど、ちゃんと真面目に自分自身と向き合うと、そこは中心の望みではなくなる。

自分は神様は本当に見てくれていると思っていて、望みの中心に真っ直ぐ向かうおうするといろいろな形でサポートしてくれるのだと思っている。ここまでで具体的には応援してくれる人が現れてくれること、現地で素晴らしい人と出会えることとして形になった。応援してくれた人たちに感謝であることは言うまでもないし、きっとそれはその向こうに目に見えない大きな存在の加護がある、と本当に思っている。(よく外国人と宗教の話になると「自分は無宗教だけど神の存在は信じるよ」と答える)

だからまだまだこのまま行ってみる。大丈夫。

「歩きたい、記したい、お金は必要なのでよかったらください。」

それだけでどこまで進めるか自分の体験をここに表して行きます。

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ここのところキッチンに大量に置いてある非常食っぽいご飯セットを炊いてます😊

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アマゾンフォトにRAWデータをノロノロアップロードしながら、PCの中のいらない写真を捨てていく。一枚一枚チェックしながら進めて1日が終わった。なかなかたくさん大切な写真が詰まっていた。