地球を巡る冒険家のHiroです。
東京から淡路島まで1ヶ月ほどかけて歩いて行ってきました。この旅は、地球全土に行くことを心に決めてからの最初の冒険。そして、初めての歩いての冒険。
1ヶ月弱という短い期間。これからの冒険の、ほんの序章にすぎないのですが、その中で起こったことや感じたことはこれからの長い冒険の縮図であるかのように大切なエッセンスが詰まっているように感じています。その冒険のことと、これからの冒険への意気込みを簡単にまとめます。
東京から淡路島。歩くということであれば、正確には淡路島に行く直前のバス亭、兵庫県の高速舞子バス停までの距離。540kmほど。途中で車に乗せてもらったりもしたので正確には完歩したとは言えないのですが、ほとんどを歩いて無事に終えることができました。
(グーグルマップのアプリが示す道順を頼りに歩いた)
旅を終える度にしみじみ思うことですが、こんな無茶ができるのは多くの方の見守りやお力添えのおかげです。ほんとうにたくさんのご縁と支えによって成立した旅でした。「歩いてきました」と題していますが「歩かせていただきました」と言うくらいが正確だと思います。「生きています」というよりも「生かしていただいています」という方が正確だと思います。それは旅をしていようが東京でじっとしていようが同じことなのですが、旅をしている時は、はっきりくっきりリアルにそのことを感じることができます。ぼくは旅のそんな側面がとても好きで、大切なことだと思っています。
身体の声に従うことにした
ぼくは昨年9月から南極の冒険記を書くため、お部屋でじっとPCと向き合っていたのですがあまりに遅筆で、もたもたしているうちに半年以上時は流れ、令和を迎えてしまいました。
「冒険記を書き上げなければ!」と発信にしがみつく頭vs「冒険したい!」と暴れだしそうな心と身体。ぼくは身体の主張を大切にすることにしました。
「これまでになく無防備に丸腰で、ふらりと行きたい。歩こう。」目的地は、そのついでに決まりました。淡路島、いいところだと聴いていたからついでに見て回ろうか。そのくらいさっぱりとした冒険のプランニング。大きなバックパックを背負い、数キロほどになったウエストポーチ。そして、カメラを首からぶら下げ、出発しました。
(東京都国立市にて出発前に自撮り。ここに三脚とカメラを持つ。)
バックパックの中身は着替えにテントに寝袋、ちょっとした調理器具に細かな生活用品。暮らすのに最低限の荷物を詰め込んで15〜20kgほど。これがぼくの家。背負ってみて全身に受ける重量は、そのまま歩き切れるか不安を覚えるほどだったけれど、同時にそれが自分の家だと思うとむしろ軽すぎるくらいなんだろう。なかなか奇妙に感じました。
歩いて冒険家の身体に進化する
野球部に11年間所属し、部員の中で特に秀でていたのは野球にはあまり関係ない長距離走。身体の持久力にはもともと自信があったし、性格的にもコツコツと積み上げることが好きな方だったので、身体的な部分ははじめから「どうにかなるだろう」と思っていました。
1日に歩けた距離は体調が良く、あまり立ち止まらずに歩いて25km〜30kmほど。時間にすると6〜8時間くらい。
何よりも大変だったのは上半身の疲れでした。ザックを背負う肩が痛くなってくる。そのまま胸のあたりまでおかしな痛みがじわじわと広がってくる。足はまだ動くけれど、この上半身の痛みをなんとかするためにたびたび休憩を挟んでいました。だいたい2時間くらいに1度は休まなければなりません。
足は、はじめのうちは水膨れがちょっと大変でした。主に両足の親指と小指。指の腹からぷくっと膨れ上がった水膨れは下手に潰すと歩くときの痛みになるので放置します。そうしているうちに水膨れはぐるっと指の周りを回って、足の甲側まで広がりました。さらに歩いてついに靴の中で水分が広がる感触。痛みを感じる。さらに歩いて感覚を麻痺させます。そうしているうちにだんだん固まって痛みはなくなってくる。このプロセスは3週間ほどかけて完了しました。一度固まってしまえば皮膚が丈夫になって再発はしなくなりました。
歩き始めは前股関節にちょっとした痛みを感じることもあったけれど、それも歩いているうちに回復して、最終的には8時間くらい歩いても平気になりました。なかなかタフな脚だなあと自分の身体の強さに改めて感謝を捧げたりもしたのでした。
食事は、もともとたくさん食べる方だし、歩いてエネルギーをかなり消費しているのでその分食べたくなってくる。。と、思いきや、あまりお腹が減ってこない。食べなくても良くなっていきます。1日1〜2食。ごはん、味噌汁、納豆、たまご、魚、質素なものが美味しく身体に染みます。もともとはスーパーのお惣菜売り場に並んでるようなコロッケが大好きなので、旅中もタイムサービスで安くなっていればすぐさま買ってしまったりしますが、油が重いのか、身体に気持ち悪さが残るのを感じるようになりました。身体にダメージが及ばず、満足できる食事は適量の日本食でした。
(安くなっていたサバといただいたお味噌でサバの味噌焼き)
特にすごいと思ったのは味噌。味噌汁にしたらもちろんうまい、身体の隅々まで染み渡ってくる。そのままスプーンでなめてもうまい。ご飯や食パンにつけるだけでもうまい。細胞ひとつひとつが生き返る。保存もきく。自分の生活がどんなに悪化しても味噌さえあればずっと生きていられるのではないかと思うくらい。これからの旅でも常にお供に味噌を持っておきたくなりました。
(かよこさんからの味噌とまきこさんからの出汁で作った味噌汁)
体重は痩せていきました。日に日に締まっていく自分のお腹を見てはわくわくしてました。最終的には体脂肪率10%、体内年齢18歳なんてことに。身体が変わるときというのは習慣が変わっているときなんだなと、当たり前のことながら実感しました。
(5/27兵庫の友人宅にて測定)
歩いて身体を物理的に使うことや、新しい景色や新しい人との出会いで精神的にワクワクすること、それを伝えようと神経を使って言葉や写真で表現を紡ぐこと、それを他人にみられて反応を受け取ること、いろんな形での刺激が身体に流れ込んできてドキドキワクワクの連続。
もはや食欲どころではない。が、生きてる感じがする。細胞の一個一個がぱっちり起きている。これまで思っていた食欲というものは本質的に大事じゃなかったんだろうと思いました。
身体が強くなって、無駄な食事が減って、身体が冒険家になるために進化したんだろうと思いました。
地球に住まう
眠くなったら公園を探してテントを貼ります。寝心地はもちろんふかふかのお布団とまではいかず、夜中に目覚めてしまうことがあったりもしましたが、結構普通に眠れました。
(三重県の公園にて。これはとても快適なところで眠れた場合。)
あまり暗すぎなくて、水道やトイレが近くにあって、近隣の方のご迷惑にならない場所を、とグーグルマップや地域の方のアドバイスを頼りに探しますが、やむを得ずちょっと怖い場所にテントを貼ることもありました。
(三重県亀山市にて。写真はいいかもしれないけれど、とても暗くて怖かった。。)
付近に住宅がたくさんある中では、眠っているところを誰かに通報されたりするのではないかと気になって、ちょっとした足音で目覚めることもありました。実際にトラブルは起こったりはしなかったのですが、一番神経がすり減るところでした。
(滋賀県甲賀市にて、テントを貼ったところで早朝4:30から消防署の訓練がはじまり、普段ではあり得ない人間の存在を珍しがる声をテントの中で聴きながら気まずい思いを味わった。)
けれども、目があったらご挨拶でもして、怒られたら謝って立ち去ろうと開き直るとなかなか気楽なもので、朝の公園でゲートボール大会に集まった住民の方々とゆっくり旅のお話をしたり、ちょっとしたお気持ちやエールをいただくこともありました。
(静岡の公園で泊まり、朝からクロッケをしにくる人々と少しの間語らった)
(三重県の公園、雨をしのいだ翌日あつまった人たちに拍手で見送っていただいた)
綺麗に整えられた日本の環境の中で、こんな根無し草のような生活をすることは人様のご迷惑になることもあってよろしくないことなのかもしれないし、実際それをできるだけ避けるように努めてはいます。
けれども一方で、どこであろうと、ここはただの地球なのだという感覚を信じる自分もいます。ぼくは自分で発信をするときや人とのやり取りの中で自分の動きを「旅をしている」と表現することが多いのですが、本当は「住まいを地球に移した」のだと思っています。
ある場所、ある空間を「所有する」ことよりも、「所有しない」ことで逆に全てを「所有する」ようなことになるのかもしれない。
こうして書いてしまうと果てしない理想なのですが、その想いが、ほんのちょっとだけ叶ったような感覚が心地良かったのでした。
道端で巡り逢う物語
「どこからきたの?」
これほど大きな荷物を背負って、やたら日焼けした肌で、ちょっと変わった格好で歩いていると、やっぱりなかなか目立つようで、道行く人に声をかけていただく機会がたくさん生まれました。
突然現れた得体の知れない男にわざわざ声をかけてくれるくらいだから、どの方も、とてもフレンドリーな気持ちで、何気ない立ち話から始まる交流が嬉しかったのでした。
(通りがかりの立ち話からはじまり、たくさんの昔話をきかせてくださった静岡のはせがわさんご一家と)
ある人は昔、自分が旅をしたときの話を共有してくださったり、ある人はその土地の歴史や見どころを教えてくださったり、自分の暮らしやご家族の話をしてくださったり、応援の気持ちとしてお菓子やジュース、果物を差し出してくださったりもしました。
手っ取り早く移動できる乗り物を使えばもちろん出会わなかっただろうし、何気なくすれ違うだけでもきっと言葉を交わし合うことなく素通りしていた人たち。歩く自分のこの風貌は、そんな人たちと関わるためのちょっとしたきっかけをもたらしてくれました。
(静岡で甘夏をくださった農家の方。家族のことや美味しい甘夏の育つ環境のことを話してくださった)
互いの人生の時間からすればほんの一瞬でしかない交流だけれど、いや、だからこそなのかもしれない、その中で触れさせていただける、ついさっきまで顔も名前も知らなかったその人の記憶の物語のなんでもなさとか、だからこその偉大さとか、意外さとか、あたたかさとか、何気なさとか、優しさとか、一つ一つのつぶつぶが輝いていて、まるで星空を眺めてるようで、自分は「へぇ〜」とか、「はぁ〜」とか、気の利かない相槌を打ちながら、ただただ豊かさを感じていたのでした。きっと、ほんものの幸福感って自分にとってこんな感じなのかもしれないなあと思いました。
(偶然入った食料品店で話していたら車で静岡の茶畑を案内までしてくださった植野さんと)
美しい景色とか由緒正しい場所とかパワースポットとか、検索してすぐにその存在を知ることのできる場所を訪れることはもちろん素晴らしいと思うし、とても好きです。
けれど、その影に隠れて、なかなか出会う機会に恵まれないような、無名の場所、無名の人こそが、結局は自分にとって最も心に残る大切な記憶になるのでした。
(三重県で見ず知らずの自分に釣れたヒラスズキをくださったかっちゃんと)
応援の【想い】が何よりの力になる
旅の様子は基本的にSNSで発信し続けました。その様子を見てくださっていた人たちが、自分の地域の近くを通った際に声をかけてくださり、泊まらせてくださったり、食事や温泉をご馳走してくださったり、街の案内をしてくださったり、自分が以前公開していた銀行口座にお気持ちを振り込んでくださったり。たくさんの心温まる施しをいただきました。
(愛知にて泊めていただいた佐治さんと。会いたいと声をかけてくださったことや冒険の話を楽しんでいただけたこと。ご出産のお祝い撮影ができたことが何より嬉しかった。)
たくさんの助けをありがたく受け取りながら気がつくことは、自分と会った人が自分の在り方を見たり聴いたりして楽しんで笑っていくれている顔だったり、「応援しているよ」と想いを伝えてくれることだったり、書いている旅の記録が「素敵だったよ」と伝えてもらえることだったり、そんな、目に見える関わりにまとわりついている気持ちだとか雰囲気だとか、そういう無形のものこそが何より自分の力になることでした。
(愛知にてみかりんからご馳走していただいた味噌カツ定食、一緒に過ごしながら自分の存在を楽しんでいただけたのがとても嬉しかった。)
尊いものはどこにでもある
日差しが強く、茹だるような道路の上、作業着を着て、道路の工事をしている男性の横を通りすぎました。
細い小道を曲がると、麦わら帽子をかぶったおばあちゃんがしゃがんで家の周りの雑草を一本一本手で抜いていました。
広がる田んぼの遠くの方に小さく、身をかがめてなにやら作業をしているおじいさん。
「こんにちは!」と元気よく声をかけながら自転車でぼくを追い越していく制服を着た中学生の女の子二人組。山を背景に小さくなっていく2つの背中を見届けます。
草木があって、家々があって、車を運転していく人がいて、雲が空にかかり、雨が体を打って、すぐ横を新幹線が通り抜けて、大きな駅を通って少し歩けば海が見え、松の木並ぶ昔風情の街道を抜け、カエルの大合唱が響き渡る田んぼの横を歩いて、街灯もない真っ暗な道、時折見かける神社に立ち寄って手を合わせ、住職さんがお掃除している。。。
冒険記に記して見せてきたことの多くは主に印象深い人との出会いや、わかりやすい良さのある写真やすごい体験だったけれど、切り出して書き表した時間よりもはるかに多い、歩いている時間の中で現れてくるもの一つ一つから、自分を形成する小さな贈り物を受け取っているような気がします。
冒険なんて大仰なことをやろうとしている自分が言うのもなんですが、本当はどこに行こうが行くまいが、尊さや豊かさというものはそこらじゅうにあって、それを受け取ることができたり、できなかったりしているだけなのだと思います。そう思うと、豊かさの本質は、見ること、聴くこと、感じること、今感じることの中から、どれだけ受け取ることができるか、ということなんじゃないかと思います。
絶景も、美味しいものも、良い人との出会いも、とても嬉しいし、その喜びを表現してきたけれど、きっと本質的に尊いことは、自分がこの身を委ねた歩く時間や休む時間の中で目にした景色や感じた匂いや音、それまるごと全部も、おなじくらい大切なこと。
東京に戻ってきてこのブログを書いている今、ここに著せる言葉以上に豊かな景色や匂いがぼくの身体に沈殿しているのだと思います。
書き表すということには人目に晒されることによる色々な都合も付いて回りますが、この自分の中に記憶しておくことはどこまでも自由で、やさしい。 一つ一つに祈りを捧げ、自分の中にしまっておき、機が熟した時にあらわしたり、あらわさなかったりして、この尊いものたちを味わっていようと思います。
ただ、歩く
「田島寛久は動いているのが本来の在り方だ」
悩めるぼくに生き方を示してくれた雨縞銀太龍さんにそう教えられたこと(経緯はここ)が始まりで
南極・南米を旅し
冒険家になると宣言し
歩きました
動く
歩く
そこで起こったこと
そこで感じたこと
それを自分に紡げる言葉と写真で伝える
それでうまいこと社会に認められてどんどん豊かになっていこうという欲は正直あります。
が、やっぱりそれは本質的に大切なことではなくて
ただ、歩くことそのものだけで
疲れるけれど面白くて
不安になるけれど楽しくて
ひとつひとつの幸せがこの身に沁みて嬉しい
そんな想いを原点に据えるようにしていました
だから、ここまで書いてきたような豊かな出来事の数々は、起こってくれた分、もちろん嬉しいけれど、起こらなくったって、本当は、良い
そんなベースを心の中に持ちながら言います
歩いて出会えたあたたかな人たちや出来事を
宝物のように感じています。
それが生まれたのは、自分自身と、自分以外の人や物事、そして神様のような目に見えぬ大きな何かのおかげだと思います。地球って、世界って、宇宙って、豊かで面白いところです。生まれてきて、良かった。
ありがとうございます。
この身に残された時間はまだまだあります。
もっともっと動きたい。
地球を巡る冒険家は
動ける限り動きます。
これからのこと
見ている人も一緒に冒険ができるような分かち合い
自分が嬉ぶことをして、溢れた喜びを分かち合う。ひとりひとりの、そんなシンプルな動きが、この地球全体にとって大切なことだと思っています。
冒険の喜びの分かち合いのために、色々な方法が考えられますが、当面はシンプルにこうしてブログやSNSに写真や言葉で記して行きたいと思います。まだ南極の冒険記なんかまだ全然かけてないので書きます。ええ。書きますよ。筆が遅くとも。「ユーチューバーとか良いじゃん」とおすすめされることもあります。ええ、やりたいですとも。けれど、追っつかない。頑張れ。頑張らなくても良いけど頑張りたい。頑張れ。おれ。
ブログ以外にも、お話会とか個展とか、他の何かしらの媒体だとか、分かち合いの方法はあると思うのですが、今の自分の力量では基本的に誰かのプロデュースやお助けが必要になっちゃいます。やりたくないわけではないのです。ただ力不足なのです。力を貸してやるよ、という人もゆるりと募集しています。
生まれつき全身を自分の意思通りに動かすことができず、冒険どころか日常生活を送ることも困難な人がいます。ぼくの友人の中のそういう人が南極の冒険で撮った写真を見てとても喜んでくれたことが、とてもとても嬉しかったのです。
(「たじー(Hiro)げんきでね」と、友人からいただいた応援の気持ち)
そういう人をはじめ、人生の色々な巡り合わせで冒険をしたいのにできないという人はたくさんいると思います。そんな人たちも一緒に冒険をしているような気持ちになることができるようなものを作りたいと思っています。
なんの巡り合わせか、自分はこうして色々な場所に冒険をすることができます。きっと神様に「行けない人の代わりに行ってきなさい」と命じられたんだと思います。
嬉しいことをして
溢れた分、分かち合う
シンプルなことを自分の真ん中に据えて進みます。
喜びのご出資を募集します
地球を巡る冒険家は冒険が生業でライフワークで生き方で命の使い方です。冒険のため、生きるために必要になる具体的なものやお金。それは、こんな自分に提供することに喜びを感じられる人からのご出資、喜びのご出資で賄っていきたいと思います。
このブログを書いている時点では手元に数万円。次なる目的地フランスに向けて絶賛募集中です。
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お金というものに対しては人それぞれ色々なその人の色濃い考え方が染み付いていると思うので、自分の感覚を示しておきます。
ぼくはお金のやり取りについては、あっけらかんとしていると思います。お金の行き来に何か特別なものはまとわせなくて良い。贈り物と同じ。あげたければあげる。あげたくなければあげない。
以前、尊敬する写真家さんが自分の撮影企画の実現のためにカンパを募られていたことがありました。お支払いによって特にリターンが決まっているわけではない、純粋なカンパ募集のプロジェクトでした。ぼくは純粋にその写真家さんの存在や表現が好きで、活動を応援できることが嬉しくて、封筒にお手紙とともにカンパを送りました。今もそのプロジェクトをいろんな人からのお気持ちを元に継続されていることが嬉しく思っています。
その写真家さんのような関わりを、ぼくも人と結んでいきたいと思っています。例えば「お金をくださったお礼に出張撮影に伺います」という取引を約束するものではありません。ただ、いただいたお金を、ありがたく使わせていただくつもりです。
おいくらでも構いません。「このくらいなら」と思い浮かんだ金額が、多すぎるなんてことも、少なすぎるなんてこともありません。ただただ、ここにいただいたお金は、ありがたくお受け取りし、自分の冒険に役立たせていただき、自分の発信を通してその行く末をお伝えしていくつもりです。
その他にも「これ、いる?」と言う感じで必要そうなものを尋ねてもらえることも大歓迎です。バックパックとかヘッドライトみたいな、冒険に役立ちそうなものとか、食料みたいな日々の生活に役立ちそうなものとか。手持ちのお金は少ないので受け取るための費用はご相談させていただければと思っています。
差し出される形あるものがなくても、応援の気持ちはもちろんいつだって大歓迎です。お祈りだけでも大歓迎です。こんな拙文をこんなところまで読んでいただけた時点で大変嬉しいことです。
ちまちま書きましたが
早い話
いーっぱい冒険していーっぱい面白いこと伝えるからよ!力を貸してくれええええええええーーーーーー!!!!!
丹田と、ハートと、神様
これまでの歩みの中でもっとも大切で
これからも、最も大切になるであろう
指針になるようなものです。
丹田を起こす。
ハートを感じる。
頭(思考)を神様に預ける。
ちっぽけな自分の頭のみで人生を操作しようしない。
感じるべきは自分の生命の中心、そして、神。
それらが示す方にただ自分を委ねる。
ここまで書いたことも
ぼくのやってきたことも全て
その指針に乗ることを意図しています。
気づき始めた自分の中の唯一無二の指針。
どんどん人生が面白く豊かに広がっていきます。
導かれるがまま。
向かう先をこれからも楽しみにしています。
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